―今年で2回目の開催となった「Japan Best Ramen Awards」。「ラーメン店主が選ぶ本当に美味しいラーメン店」をコンセプトに、日本全国の有名ラーメン店主の方々に調査をした結果、「家系総本山 ラーメン吉村家」の名前を挙げる店主さんが多く、この見事3位に輝きました。 丁度いい。お前な? 金メダル取ったってその次引退しかないんだから。3位あたりが次いけるじゃん。 僕ね、横浜ウォーカー(KADOKAWA)で10年間くらい3位だったの。コツコツやるからまだ上があったし、目標があった。 ―まずは今回受賞された率直な感想を教えてください。 何にも考えてねぇよぉ!!うるっせぇなあぁ!!当たり前だよぉ! そうやって書いとけよ?お前! —わかりました(笑) 実質ねぇ、1店舗の売り上げは俺が一番。だって毎日1,000人だから。並んでる並んでるったって20人も並んでねぇんだよ他所の店はよぉ。多いときは200人だよ。それを毎日のことだからな? まぁこだわってねぇからな? 俺はな。 —なるほど。 書いとけよぉ!?やらせだって。100万円寄付金やったら3位にしてくれたって。書いとけよおぉ!!そういうのも面白いじゃねぇかよぉ。 —(笑) ※やらせではありません ―「Japan Best Ramen Awards」のコンセプトが「ラーメン店主が選ぶ本当においしいラーメン店」というものなのですが、吉村さんが思う本当に美味しいラーメンとはどんなものだとお考えですか? まず工場で作ってない。もう全ては手作り。それはやっぱり安心できるな。 作るのもそうだけど僕はやっぱり麺が好きだから。週末は新潟でへぎそばを食べた。麺類が好きだから。タンメンだろうが、日本蕎麦だろうが。 ―先日の吉村家さんの値上げ後の価格を拝見しても、お客様に手軽に召し上がっていただきたいというお気持ちを感じます。 そう。手ごろな値段で出すのが僕はベストだと思ってるから。1杯1,200円だとねぇ、ちょっと考えちゃうな。自分が客の立場だと。自分はそんな感じがするな。 「ちょっとごめんなさいね」と上着を羽織りながら談笑する最中に、厨房内の一本の電話が鳴る。 『あいよぉ!! 土曜日、日曜日どうだった? 結構結構。おぅ! じゃあぁ、お前…。田舎でよぉ! 18万いったら…、今インタビュー受けてんからよぉ。今受けてんだよぉ!!』 あの、富山のはじめ家さん(「ラーメンはじめ家」)から電話が入って現状報告。 毎週1週間の売り上げを言いに来んだよ。 『すると18だとお前何個だよぉ!? 600くらい? だからぁ、600売ってりゃあ上等じゃねぇかっつうんだよぉ!! お前都会だって600中々売れねぇぞ? 家賃が20万で水道代が0円だろぉ?』 富山の魚津はねぇ井戸水だから。アルプスから水が来るからタダ! 水道代が。 俺たち水道代で毎月60万だ。 ―60万円ですか! そう。だから中身はこいつらの方がいいんだよ。 『まぁ、そういうことだよ。とにかく頑張れよぉ!! あいよぉ! あいぃ。』 今のは現状報告だ。毎週大体。 だから僕の仕事はもう、8時ですべて終わっちゃうの。 あいつには3,000万貸してる。で、毎月大体100万ずつ返してる。でもこいつは多い方。売り上げがいいから。 ―3,000万円もかかるんですか? かかります。ここは1億。煙突だけで5,000万だ、上まであげて。 ちょっとお前、カメラマン。こっちこいよ。こっちから入ってこい。下滑るからな。ゆっくりこい、相撲取りみたいにゆっくり。 「これ、チャーシューだよ」と写真を撮らせていただく。 このカウンターだけで1,000万だから。今はもう艶がねぇけどぉ、もう25年もしてるから。今だからラーメン屋さんもちょっとオシャレになんないとぉ、はっきり言ってね。だからうち意外と女性多いんだよ。 —そうなんですね。 「ラーメン屋は汚ねぇ方がいいだろ」「美味いだろ」ったってそりゃ違うよ。やっぱり女性だってお客様の一人だから。やっぱりちょっと洒落た感じで食わせねぇと。だからラーメン屋さんも段々とそういう進化をしないと駄目みたいだな。昔は労働者が来たんだけど今は関係ないから。 ―時代の流れに沿ってラーメン屋さんも進化しており、それと共に吉村さんのラーメンに感化される方も増え、家系ラーメンは今や全国に拡まっています。現在、日本全国に2,000店舗以上あると言われていますが創業当時はここまでの人気、拡大を想定されていましたか? するわけねぇだろ! 毎日毎日努力するだけじゃん。やっぱりねぇ、先のことはわかんねぇよ。 ―今の2,000店舗以上あるという現状についてはどう思っていますか? なにもねぇよ。嬉しいよ。だって俺特許とってねぇから。 ―真似されてしまっているという感覚も… んあぁ、もう全然ない。 逆に俺が有名になっちゃったじゃん。そうだろ? 名前見てみろ総本山だぞ。実際に少なくとも1,000人は教えた。申し訳ないけどそん中で10人もいねぇよ、ここでしっかり修業した人。なんか1日いて吉村家で修業したって人もいるし。そうでしょ? だからそんなものだから。もう有名店だよ。いいんだよ。 ―腹立たしいとも思われないですか? 立たねぇよ! 逆にそのおかげで俺が有名になちゃったんじゃん。俺はぁ田舎にいたんだよ? 田舎の人間がここに店出して。見たら外国の方も多いし。うちは前、中国語と英語と全部やってたんだよ。いやもう大変だったよ。今でもツアーで20人、30人来てんだ。勘弁してくれよぉ。並ばねぇで食わしてくれって。 —それは大変ですね… お前お金欲しい? ―欲しいです。 お前貧乏人。 —(笑) もう金持ちはお金いらないの。もうこんな歳になると健康だとかね「うるっせぇよ馬鹿野郎!年寄りだからもう死んじゃってもいいよ」って言うんだけど。お金じゃねぇんだ。今来てくれるお客様を美味しいって言わせないと何もないじゃん。コンビニだとかいろんなので売ってんだけど、この味とは違うよ。これは俺が作ってんだから。 10店舗ありゃ偉えのか、20店舗ありゃ偉えのかって。でも俺は違う。俺は1店舗だからな。だから金儲けは違うんだよ。そういう奴らはビル何個持ってんだよぉ? 俺13持ってるから。 ―本当ですか! お前俺のあだ名知ってるの? “ラーメン界のビル・ゲイツ”って。 ビル・ゲイツって死んだのか生きてるのか知らねぇけど。あの時はビル・ゲイツっての有名だったから。今テスラの社長が1位だろ。 ―お詳しいんですね。 当たりめぇだろ?金持ちは友達なんだからみんな。 今は4年前から倉庫業に進出してるから。物流が一番いいよ。ビルなんか建ったってテナントみんな出てるじゃん。倉庫はもう奪い合い。倉庫はみんな欲しがってるね。「吉村さんやってくれよやってくれよ」っつうんだけどいい場所が中々ない。土地を持ったのは20年前くらいなんだけど、ずっと遊ばせてた。だけど思い切って。 ―元々、長距離トラックの運転手をやられていた吉村さんが、吉村家を創業されたのが1974年。これまで営業されてきて1番苦労したのはどのようなところですか? 人が育たなかった。 僕はね、残念ながら人の使い方が下手だったね。長嶋(茂雄)がそんなに名監督じゃねぇじゃん。名選手だけどよぉ。かえって2番3番のやつの方が人を使うのが上手いんだよね。 ―なるほど。反対に、嬉しかったことはありますか? そういうのもねぇな。淡々と飄々と…、やってるわけねぇだろバカぁ!! 淡々と飄々とやってたら潰れてんだ俺はぁ!!っていうことを言っちゃいけねぇんだな。 ―昔の修業映像でお弟子さんへご指導されている吉村さんの姿が強烈に印象的です。私はお弟子さんに対しての思いやりが詰まった愛情いっぱいのご指導をされているなぁと感じていました。 ありがたい。 ―お弟子さんへご指導される中で、心掛けていたことやポリシーなどはございましたか? 必ず、こいつを当ててやるって。必ずそういう意識だった。 負けて悔しいなら負けねぇようにすりゃあいい。ラーメン屋だって同じだ。売れなきゃ負けだから。 ―お弟子さん一人一人にそのような意識でご指導されてたのですね。 だから疲れる。すごい疲れる。だからこうやってバンってやる(叩く)のも本当はいけないよ。 でも「今日テレビ局が来るからよ、これやるからな? お前に同情心が全部集まるから。いいか?」って言ったらウェルカムって言うから。 ―本当にそんなやりとりがあったんですか!? そりゃそうだよぉお前。あんなのヤラセだぁバカぁ!! みんな俺のこと憎むじゃん。だからそれでいい。こいつがどこそこで(店を)やりますって言うとナレーターとかが言ってくれるから、そうすると向こう(出店先)の方が期待してくれるわけよ、いつ来るんだろうって。そしたらやっぱり案の定当たるんだよ。後はもう自分の努力だと思うけどね。 ―お弟子さんはもうとられていないですか? とってるよ。事情をよく聞いて、やっぱり死ぬ気になってやるやつだけだよ。 貧乏人を育てたい。だけど貧乏人でも金がないとできないから。だからうちでラーメンやってて勝手に独立して勝手にやるのも全然構わない。ただ、直系となるとやっぱり違うね。お金はあるわ、独立心はあるわ、やっぱ両方ないと駄目だよな。そうじゃなきゃ社長業なんてやってけないだろ? なんでも資本投下しないと。誰かスポンサーがいて金を出してもらってやるっていうのは僕は違うと思うんだ。そしたらいつでも逃げられるじゃん。自分の金出してれば真剣さが違うじゃん。 —なるほど。 そして、2番目の条件として奥様と一緒にやる。最初から従業員を使うなんて発想すんじゃねぇ。従業員がいれば楽できちゃうじゃん。で、僕は中学校の出で学歴がないからやっぱりもう逃げ方がわからなくて。利口じゃないから。だって、運転手だってそんな歳じゃ駄目じゃん。若いから運転手もできたし。だから勉強する気持ちがないとだめ。中学だろうが、大学だろうが、学校の学習だけで納得しちゃってたら駄目。社会出たら勝つ方法はまた別だから。 世に問うぞ? 俺は。学歴が無くたって勝つ奴は勝つ。努力しないと駄目。学歴で飯が食えるなら1回目の就職先で我慢しないと。 話をしながら吉村さんは、厨房の奥に並ぶ大きな寸胴の前に我々を呼び寄せる。 これこれ。これがね、今話題の鶏油って言うの。これが中々手に入らない。全然ないの。それでこうやって黄色くなきゃだめなの。オレンジっぽくなきゃ。これは上物。 ―今、他のラーメン屋さんからも鶏油不足に悩まされてるとお聞きします。 当たり前じゃん。俺が買い占めてんだよ。1月まで買い占めてんだから。とにかく冷蔵庫なかったら冷蔵庫借りろと、もう借りるしかねぇじゃんよ。大体ね、常時4トンくらい。で、これもまた高いんです。これもまた色が違うでしょ? 白いのはもう捨てるもん。でもさっきのオレンジの奴は中々手に入んない。 ―値段は高いですか? 値段も高いよ。ラーメン屋はみんなこれ分けてんだよ。でも俺は自分の商売だからよぉ。この海苔も、たぶんラーメンで海苔をやったのは僕が一番最初なんだよ。これもやっぱり年間契約で2,000万~3,000万。1年で。 だからいつも戦うのは永谷園。でも永谷園には適わないから俺たちも(笑) 永谷園が買った後に俺たち。 こういうのも売ってくださいって。だから売ってあげるよ俺? なんでも。 あとは…、これがオリジナルだよ。ラーメン酢。だから意外とこう見るとうちオリジナルが多いんだよな。これはニンニクで漬けてあるし。 (次々とトッピングを取り出す吉村さん) オリジナルがこれ、ちょっと待ってね。 ここまで中々やったことないよ。折角だからよぉ。ほら。 ―ありがとうございます。 このニンニクもそうだ。これオリジナルだよ。これだけで1億円。1億円で売るの。ラーメン屋さんが欲しがるの。うちで作ってんだから。これもほら写真撮れ、どうせだから。これも20年前くらいから。無添加で。これは回転のいい店じゃないと使えない。要するにすぐ腐っちゃうから。保存料がいい悪いはともかくだよ? そんなのみんな入ってるから。でも僕はそれにしない。こういうとこで違いが出るかも知れないなぁ。ちょっと新しい切り口だからなこれ、今喋ってんのは。ここまで俺あんまり喋んねぇから。 ―書いて大丈夫ですか? いいよ、書きゃあいいじゃんよぉ。そのために来たんだろぉお前!?たぶんねぇ、そういうとこまで見せないから。チャーシューもこれ。色が違う、色が。肉のピンクってのは新鮮なんだ。ガラもそう、新鮮なのはピンク。 ―我々は、ラーメンは日本を代表する文化であり、その美味しさや多様性、素晴らしい魅力を海外に対しても発信していきたいと考えています。ラーメン界を牽引してこられた吉村さんは、日本のラーメンは世界に通用すると思いますか? 通用する。麺文化なんてのは、中国でも韓国でもみんなあるんだよ? ベトナムだってあるんだよ? イタリアだってあるんだよ? 麺文化ってのは世界にある。そん中で世界に合わせてけばいいんじゃないの?俺は、正直言ってもうちょっと若かったら日本なんかいなねぇなぁ。アメリカかな。 ―アメリカで家系ラーメンを広めていたということですか? 自分でな? うちの孫が来年調理師学校卒業なんだよ。だからその時修業してくるって。 ―すごいですね! いいねぇ、俺もそう思うよ。つまんねぇじゃんよ、日本なんかよぉ。 ―つまらないと感じておられるんですか? つまんないだろぉ? 何が面白いんだよぉ。やっぱり世界が面白いんだな。いや、ニューヨークじゃなくてもいいけどさ。僕はね、昔インドに行きたかった。やっぱりインドがものすごい憧れるんだよな自分が。だからやっぱり自分はどうしても海外が好きみたいだな。あんまりこんなこと聞くやついなかったから答えたことねぇけど。だけど若い時からインドは行きたかった。 ―それはどうしてですか? わからねぇ。インドが合うんだよ。なんでって言われても…、そんなのわかるわけねぇじゃん。 ―綺麗な女性が理由ですか? そういう発想じゃないみたいだな。あの時はなんでそう思ったのかもわかんないけど。で、行く寸前だったけど親が駄目だって。そういう専門学校も出たんだけどね…。 ―1974年に新杉田にお店を構えられてから、間もなく創業50年が間近。吉村さんご自身の今後の展望や目標を教えてください。 展望なんかねぇよ。 死ぬだけだ。 何を言ってんだぁ!! 75のやつに夢だとか希望言うんじゃねぇよぉ!! 死ぬだけだ。 ―やはり、ラーメン作りには携わり続けたい、自分の手で作りたいという想いはありますか? そう。面白いの、この商売。なんで面白いか。パワーってなんだ? 勝ち進んでみなよ? パワー出るから。プレッシャーもあるけどよ。でも、それ以外に達成感もあるし、喜びもある。 ―ありがとうございます。時代は変われど多くの人を虜にし続ける吉村さんの情熱と、サービス精神旺盛な優しさに胸がいっぱいです。 吉村さん、本日は貴重なお時間ありがとうございました!圧倒的な存在
時代に合わせて
努力するだけ
弟子への想い
自分の商売
日本はつまらない
この商売は面白い
・プロフィール吉村 実 会長
家系ラーメンの元祖であり、総本山「吉村家」を開いた家系ラーメンの生みの親。
「お客様は我が味の師なり」を掲げ、連日長蛇の列を作るほどその人気は止まることを知らない。
「杉田家」(神奈川県横浜市)、「はじめ家」(富山県魚津市)、「上越家」(新潟県上越市)、「厚木家」(神奈川県厚木市)、「高松家」(香川県高松市)、「末廣家」(神奈川県横浜市)、「環2家」(神奈川県横浜市)、以上7店舗は吉村家公認の『直系店舗』。
※「環2家」の住所は下永谷本店。その他、蒲田店・川崎店もあり。
(参照:http://ieke1.com/source/yosimuraya/chokei.html)