横浜家系ラーメン 作田家
店主プロフィール
作田 直章 店主
19歳の時に横浜家系の名店『六角家』のラーメンを食べて、その旨さに衝撃を受け弟子入り。
その後、博多ラーメンの名店での修行を経て2009年に独立し、『極濃麺家 初代一本氣』をオープン。
2013年には『宅麺.com』にてWEB限定サイバー店舗『横浜家系ラーメン 作田家』をオープンし、「暴君RA-MEN」を発売。以来、トップクラスの人気を維持し続けている。
2014年に実店舗の屋号を『横浜家系ラーメン 作田家』に変更し、家系ラーメンと豚骨ラーメンを提供する大人気店に。
店舗情報
豚骨を極め、その全てを知り尽くした “豚骨界の暴君” 「作田 直章」が魅せる家系の真髄。
住所:東京都江戸川区西小岩1-29-6 1F
営業時間:<月〜金>12:00~13:30, 18:30~20:00
<土日祝>12:00~13:30
※麺・スープが無くなり次第終了
定休日:火曜日
『お取り寄せ家系ラーメン オブ・ザ・イヤー 2020』大賞おめでとうございます。
2018、2019に続き、見事3連覇を達成されましたが、いかがですか。
率直にうれしいです。
宅麺を作るのもラーメンを作るのも今はほとんど一人でやっているから、その苦労が報われた形ですね。宅麺はお客様の顔が見えない分、純粋に味だけを評価されるので、大賞という形の評価を頂けるのは本当にうれしいです。
あと、今回はこれ以上ないご褒美もありますし笑。
『宅麺.com』創業期から『横浜家系ラーメン 作田家』をご出店頂いていますが、作田さんと『宅麺.com』の出会いについて教えてください。
最初は本当に胡散臭いと思っていましたよ、実在するかも怪しかったですし笑。でも営業マンの熱意がすごくて、何回追い返しても店にくるから、ライバル会社を全て倒すくらいの気概があるなら始めても良いと思いました。
営業マンの情熱に根負けした形ですね。
元々は、『極濃麺家 初代一本氣』という店名でお店を営業されていましたが、『横浜家系ラーメン 作田家』に店名を変更された経緯を教えてください
『極濃麺家 初代一本氣』として営業していた当時は、家系と豚骨を組み合わせた “NEO豚骨” という新ジャンルのラーメンを作っていました。
そんな時に突然『宅麺.com』から、店舗として実在しないサイバー店舗 “作田家” を作って、ネット販売限定で家系ラーメンを作りませんか?と持ちかけられたんですよね。
それを聞いた瞬間、めちゃめちゃ面白いと思い、すぐに賛同しました。 “日本で初のサイバー店舗” という触れ込みに心が動きました。僕は日本で初とかいう言葉に弱いんです笑。
今振り返ると、当時は純粋な家系をしばらく作っていなくて、家系が恋しくなってた時期だったのでタイミングとしても良かったのかもしれません。発売したらそれがめちゃくちゃ売れて、本当にうれしかったんですよ。
ありがたいことに様々な賞を受賞した一本氣でしたけど、眠っていた家系の魂が呼び起こされて、一本氣を壊してでもまた家系を作りたいと思いました。そうして、もう一回本気で家系を作るために店名を変えたんです。
かなり大変な修行時代だったとお聞きしていますが、修業時代について教えてください。
修行時代はいびられるなんてもんじゃない。先輩からの扱いはホコリ、ゴミ扱いですよ笑。今の時代じゃあり得ないけど、鉄拳でしか仕事を教えないみたいな。
当時は強烈なシゴキが許された時代だったので、注文を取るときなんて間違えたらすぐに先輩から罵声が飛ぶ。労働時間もながいし、今だったらその慰謝料で一生飯が食えるんじゃないかと本気で思ってしまいます笑。
でも “力” がある人、 “腕” がある人は上に行ける世界。だから必死に“腕”を磨いて、上に行けるように頑張りました。それでも、どうしても心が折れそうになる時もあります。
そんな時に僕を支えてくれたのが、東野純直さんの “NO NAME” と言う曲だったのです。
【家系3連覇記念】作田店主と東野店主、夢の対談が実現
ここからは『お取り寄せ家系ラーメン オブ・ザ・イヤー 2020』で大賞に輝き、見事3連覇を達成された作田店主へのご褒美企画!
修行時代の作田店主を支えた憧れの歌手『支那ソバ玉龍』の東野店主との対談をお届けします!
支那ソバ玉龍
店主プロフィール
東野 純直 店主
音楽とラーメンの二足の草鞋を履く異色のラーメン店主。
目黒の名店『かづ屋』で修行を積んだ後、 独立して『支那ソバ玉龍』をオープン。
店舗情報
出汁の香りが素晴らしい、上品な醤油スープが特徴。淡麗スープと極細麺の相性も抜群。
住所:東京都昭島市緑町4-1-27
営業時間:<月~土>11:00~22:00(ランチ営業は平日11:00~15:00)
<日>11:00~21:00
定休日:火曜日
『お取り寄せ家系ラーメン オブ・ザ・イヤー 2020』大賞、そして家系3連覇のご褒美として、作田様から強い希望があり今回の対談が実現しました。
(東野)
3連覇!!やばいですね!!ご褒美なんて…
ありがとうございます。こんな片田舎まで、すみません。
(作田)
とんでもない!最高のご褒美ですよ。
大変な修行時代、作田さんは東野さんの “NO NAME” を聴いて耐え抜いたということですが、当時を思い出していかがですか?
(作田)
当時はまだコンパクトディスクですよ。休憩時間にそれを聞くわけです。エンドレスリピート。辛いから仕事に戻りたくないけど、歌詞の中にある “何センチでも前にいれば” に勇気つけられて仕事に戻ってました。
この曲がなければ、今の自分はないですね。本当に支えになりました。
東野さんは今回の話を受けてどう思われましたか?
(東野)
「誰かの力になれたらいいな」と思っていつも曲を作っていますから、そこまで言ってもらえると音楽家冥利に尽きますね。本当にうれしいです。
飲食業を始めてなおさら痛感したのは “人は人のために生きるべきだ” ということ。自分のためではなく。こんな話を聞いたら自分の力にもなりますしね。
お2人がラーメンの道に進まれた経緯を教えてください。
(作田)
子供の頃からラーメンと音楽が大好きで、学生の頃は音楽の道に行きたくて色々やりましたけど、ある時自分の音痴に気付いて笑。だから裏方の仕事をしようと照明の専門学校に行ったんですけど、人生の岐路に立った時、自分が本当にやりたいことをやろうと決心し直しました。
僕にとってはそれがラーメンだった。でも修行が始まってからは地獄でしたね。
(東野)
ツアーとかで全国を回るとその土地のラーメンを食べます。その中でどんどんラーメンにはまっていって、いつか飲食業をやるならラーメンをやろうと思っていました。
レコード会社を辞めてインディーズになったタイミングで、このまま音楽のみで食べていくのは正直難しいと思った。でも音楽を辞める気は毛頭なかったから、それならこだわったラーメンを作って自分の城を持ちたいということで修行に入りました。
作田さんは東野さんの曲で修行時代を乗り越えたと仰っていますが、東野さんは修行中に支えになっていたものはありますか?
(東野)
私も全く同じ、音楽です。
ビートルズの “Let It Be” を聞いて乗り越えました。この曲は、軍事政権を崩壊させるくらいパワーがみなぎっている素晴らしい曲です。僕はこの曲に本当にたくさんの元気をもらった。
それと同じように、作田さんが僕の曲を聞いて元気をもらっていたという話は、つくづく感慨深いものがあります。
最後にお二人の来年の抱負を教えてください。
(作田)
もちろん4連覇ですよ!というか “生涯連覇” です。あとは常に進化。昨日よりも旨く、今日よりも旨くですね。
最終的には誰かの人生を変えるようなラーメンを作りたいです。
(東野)
まず、ラーメンに関しては手を抜かず、精度の高い一杯を作ることを『かづ屋』の修行時代から続けているのでそれを継続すること。
音楽に関してはアルバムを出すことはやめたくないので、来年もアルバムをリリースしたいですね。
(作田)
それは大事ですね!
横浜家系ラーメン 作田家
「暴君RA-MEN」
3連覇を達成した “本物の” 家系ラーメンを是非ご賞味あれ!
※この記事は「お取り寄せ家系ラーメン オブ・ザ・イヤー 2020」サイト内に掲載されたインタビュー記事を再編集したものです。