山形県の僻地に、夏は旅館だが、冬だけラーメン屋さんをやっている、しかし、大行列を作る不思議なお店があると聞きつけた。それが約3年前。ツテをたどり、その半年後に取り扱いを始めることができたのだが、それが、今や、2年連続で宅麺.comの売上第1位という、人気商品となったのだから、不思議な縁というものである。「お取り寄せラーメンオブザイヤー2014」を受賞したこの機会に山形県までお話を伺ってきました。「琴平荘」ファン必見のインタビューです。
来られないお客様にもラーメンを
ー宅麺.comをのことをどういう風にお知りになられ、なぜ販売に踏み切られたのでしょうか?
最初、今は亡くなった札幌「まるは」の店主・長谷川さんから伺ったんですよ。
彼とは大親友でしたね。この長谷川さんから薦められたというのもあり、興味を持ちました。まず半分は、期間限定で営業しているので、6月〜9月の4ヶ月間、火を落としてしまうわけです。しかし、日頃からスープをとったり、麺を打ったりすることで、いわば腕が鈍らないようにしておきたいと思っていました。
そして、もう半分、これが最大の理由ですが、遠方からなかなか食べに来られない方に、食べていただきたい、とも思ったんです。
琴平荘の向こうには、三瀬海岸が広がります。 サーファーも多く、サーフィンの後に食べに来るお客さんも多いとか。
二足の草鞋から専門店へ
ーお店の歩みを教えていただけますか?
今、13年目になります。行列ができるようになったのは3〜4年目でしたね。それまでは、(郊外という)場所的にも、旅館の大広間で片手間のラーメンだとも言われ、かなり苦戦をしました。それ以降はおかげさまで、毎年たくさんのお客様に来ていただいています。
ーそもそも、なぜ旅館なのにラーメン屋さんなのでしょうか?
それは、冬場の閑散期対策としてラーメンを始めました。冬場の一番悪い時期、11月〜3月いっぱいは宿泊のお客さんが少ないので、最初はこの期間で営業を始めました。おかげさまで3〜4年後に、ようやく人気が出てきて「通年やってくれないか」というお客様の声をいただけるようになりました。そこで、1ヶ月前倒しと後ろ倒しをして、10月〜4月、というかたちで営業をしていた時期もあったんです。しかし、東日本大震災の時に、ゴールデンウィークの予約が全部キャンセルになり、「これは2011年、大変なことになるな」と思い、思い切って5月までやろう!ということで、現在は10月〜5月の8ヶ月間、ラーメン屋として営業をしています。
ー現在、旅館のほうはいかがなのでしょうか?
今、この8ヶ月間というのは、申し訳ない話、手が回らなくて旅館の営業ができていないんですよ。最初の方は5ヶ月間だったのと、ラーメンが冬場対策だったので、旅館とラーメン屋、二足の草鞋を履いていたんです。「ラーメンをやっているから宿泊のお客様をお断りする」というのは申し訳ないし、旅館の営業の方が利益率がずっといいので、もったいないという思いもありました。しかし、ラーメンをすることで旅館のお客様に迷惑がかかったり、旅館をすることでラーメンのお客様に迷惑がかかったりと、それはかえって中途半端だと思ったんです。そこで、スパッと切って、二足の草鞋を止めることにしました。
11時のオープン前には50人近くが並びます。(2014年12月末訪問時)
一年半の上京生活、地元でのラーメン研究
ーもともと琴平荘がご実家なのでしょうか?
ここ琴平荘は、祖母が始めた簡易宿泊所みたいなところが始まりなのです。当時は、昭和40年代、成長経済で、作ればなんでも売れるという景気のいい時代でした。その後、両親が勤め人を辞めて、旅館としてきちんと会社形式にしたんですよ。自分は、鶴岡市内で、小・中・高と過ごしました。高校は酒田南高校という当時は地元では不良の集まる高校だったんですよ。 ドカン(太い制服ズボン)なんか履いてね。勿論、真面目で優秀な生徒も多くいましたが、当時はそんなのが多かったですね。
ー高校卒業後は一度、東京に出られたということですが。
埼玉ですね。英語が得意だったので、英語で何かできればという思いがあったんです。しかし、親父から反対されましてね。「一人っ子なのに、後継ぎはどうするんだ」とね。こうして「社会勉強として大学でも行ってこいや」ということで出て行ったんです。そんな事で得意な英語でしたがあまり勉強する気もなくなってしまってね。大学時代は遊んで終わりましたね。
ーそして、大学を卒業後に戻られたのでしょうか?
いや、大学は卒業していないんですよ。1年半で戻ってきたんです。遊んで来いっていうんで遊んでたので、試験は受けないわ・・・留年はするわでね。そこで、地元に戻って、親父が炉端焼き屋も経営していたのもあって、それを手伝うようになったんです。そこで、簡単な料理をしていたんですね。それは、今、思えば旅館業に通じる下積みの修行みたいなものでしたね
近づくとまさに旅館。ラーメン屋さんには見えません。
ーその後ラーメンを始めるまでに時間はかからなかったのでしょうか?
いや、そんなことはないですね。20歳の夏に帰ってきて、36歳のときですかね。
ーラーメンはもともとお好きだったのでしょうか?
大好きでしたね。鶴岡ではいいお客さんが来ると、出前をとってラーメンを食べさせるという文化があるんですよ。東京とかでは寿司とか鰻でしょう。みんな大好きですね。
ー研究はしていらっしゃったんでしょうか?
食べ歩いて、好きで自分で作っていたんですよ。それは、遊びのラーメンでね。ラーメンが好きだから食べ歩いていただけで、それは「商売」とは全く別のものでしたね。しかし、作ってみて、「結構うまいな」なんて自画自賛していたんだけど、実際に商売して、お客さんからお金を取るというのだと、こんな片手間じゃダメだなと思っていましたね。それに、やるんだったら、麺もね、自家製じゃなければやらないほうがいいなと思っていたんです。
趣のある廊下の奥に暖簾が見えてきます。
自家製麺にこだわる
ー麺の自家製ですか。
自家製が出発点だと思いますよ。製麺屋さんには悪いんだけれど、もちろん今は良い麺を打つ製麺屋さんはあると思いますが、昔はね、なかったんですよ。どうしてかというと、まず、麺は日持ちしないと話にならなかったわけです。当時の製麺屋さんの麺といえば黄色い麺で、常温で2週間、3週間、夏でも持ってしまうという麺だったんですね。だから、麺屋さんの麺をとってはダメなんじゃないかと思っていたんです。そして、早く熟成させる、とか、かん水以外の添加物を入れないとか、そういう風にして個性が出るわけですけどね、それだと個性が出ないじゃないですか。
酒田あたりが8割自家製麺なんですよ。恐ろしいでしょ。鶴岡は昔はダメだったんですよ。やっぱり、酒田に馬鹿にされたような時代があってね。酒田はラーメン専門店で、鶴岡の中華そばは食堂の中のメニューの一部と言われてね、「酒田ラーメン、鶴岡の中華そば」なんて言い方もあったんです。「鶴岡はラーメンていうイメージはないだろう」と酒田人は言うんですね。「鶴岡は麦切りだろう」とね。今は、鶴岡・酒田のレベルは関係なくなりましたね。鶴岡にもうまい店いっぱいできたんですよ。
※「麦きり」は、山形県庄内地方でよく食べられるうどんのような麺。うどんよりも細めでツルツルもちもちしているのが特徴。
琴平荘では大広間でラーメンを食べられます。
ー今、基本的なものは全部自家製なのですね。
メンマ、麺、チャーシュー、・・・全部ですね。海苔以外ですね(笑)!メンマも乾燥メンマの状態から5日から1週間くらいかけて戻しています。それを、チャーシューの煮汁で煮るわけですよ。だからチャーシューも自家製。もちろんスープも自家製でね。
基本の中華そばは、あっさり(上)とこってり(下)の2種類。丼が違い、こってりは脂多め。
知られざるをえなかった焼き干し
ースープの材料にも、自家製のものがあるとか。
(トビウオの)焼き干しね!毎年、夏に作っていますよ。
ーそれは、最初からですか?
最初は飛島のトビウオの焼き干しを仕入れて使ってたんですよ。網元から直接仕入れていたんですよ。毎年、3000匹、4000匹、とお願いしてんですが、忙しくなってきたので、5000匹お願いしますよ、といったときに「今年は不漁でほとんど獲れないので分けられないよ!」と言われてしまったんですよ。「えーーー!」と思いましたね。「今年は不漁で獲れなかったので無いよ」というのはね。そんな安定しない素材を使って、商売なんてできないと思いました。
トビウオをやめるか、自分で作るかの判断しかなかったんです。
それに、最初から高かったんですよ。キロ4000〜5000円はしたんですよ。これはもうラーメンの素材じゃないよね。
ーそして、自分で作られるようになったというわけなんですね。
飛島のトビウオ漁と言うのは、ちっちゃな舟で、それも漁師一人でやっているようなものなんです、刺し網漁っていいます。獲れる年と獲れない年の差があってね、それは、毎年、自分の好きなところで漁をできない決まり事があるらしいです。それで運が悪いと全然かからない、漁師によっても違うんですよ。
ただ、回遊魚だから全く取れないってことはない、と思ってね、地元の定置網でやるような大きい網元に行ったらね、鮮度も質も良いものがあったので、それを原価で仕入れたわけです。あとは、手間をかけました。必要なのは、手間賃だけですから。キロ4000円だったものが、キロ600円くらいにはなりましたね。手間がものすごくかかっているわけですね。
おきまりの麺リフトも。
地元第一
ー今後はラーメンイベントの出店などは考えられているんですか?
営業期間中に臨時休業をしてまではできません。やっぱり、自分のところのお客さんが一番大事ですよ。だから、イベントのために店を臨時休業するのは絶対ダメだと思っています。もちろん、あちこちから営業はきますよ。イベントとか百貨店のバイヤーからオファーは来ますけどね。中央(東京)に名前を売ろう、売れない、とかいう話ではなくて、ここに来てくれるお客さんを大事にしたいですね。
もちろん、場所もありますね。ここは鶴岡市内から車で30分も郊外なので、わざわざ来てくれるお客さんに「東京のイベント行くので、一週間休みます」なんて臨時休業はできないですね。自分のところに来てくれるお客さんが一番大事だっていう考え方なんです。
店主プロフィール
店主・掛神 淳氏。パンチパーマが特徴。
好きなラーメン屋
山形県酒田市ラーメンショップ半月
メディア掲載歴
テレビユー山形「ラーメン頑固録番外編」
山形放送「ピヨ卵ワイド430」
山形テレビ「われらラーメン王国」(一杯入魂、佐野軍団やまがた集結)
「ラーメンマップ宮城・山形・福島」
車で行くご当地ラーメン紀行 東日本編
「東北ラーメンウォーカー」
他多数