昭和39年、札幌市豊平区中の島に一軒のラーメン店が誕生した。それが『純連』
濃厚の味わいを追求した純連
店主は村中明子さん。純連と書いて“すみれ”と読ませる店名。当時の札幌味噌ラーメンは、あっさりとした味噌スープが主流だったが、敢えて濃厚な味わいを追求。やがて店は話題になり、次第にマスコミでも取り上げられるようになる。しかし昭和57年7月、その人気を嫌うように突然、店は消える。そして昭和58年に中央区南11条西1丁目にて復活。それを契機に“すみれ”から“じゅんれん”へと呼び名を変えた。トンコツや豚足、アジ、昆布、香味野菜などで採ったスープに、佐渡産の味噌をベースにした味噌ダレ。表面にはラードの層が浮き、火傷をせんばかりの熱々ぶりは、まさに濃厚だが、根ショウガも効いているので意外にも後味がさっぱり。
一気に全国へ羽ばたく
本店は長男の村中教愛さんが店を継ぎ、本店と北31条店を切り盛りしている(東京・高田馬場店はスタッフに譲り『さっぽろ羅偉伝』としてオープン)。『純連』を有名にしたのは、弟(三男)の村中伸宜氏の功績も大きい。彼は平成元年に創業の地、中の島で『すみれ』をオープン。新横浜ラーメン博物館へ出店し、全国区の知名度となった。そのため『純連』と『すみれ』で「純すみ系」と呼ばれている。ちなみに明子さんは一時は引退したものの、新琴似で『駅』をオープンした(現在は閉店)。『純すみ系』として名高い理由はもう一つ。それは優秀なる弟子の存在。『麺屋 彩未』を筆頭に『狼スープ』『千寿』『空』など約20軒の出身店舗が人気を博している。
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フードジャーナリスト・はんつ遠藤
日 本のラーメンだけにとどまらず、世界中のグルメに精通する。テレビ番組でのリポーターや、カップラーメン監修、雑誌でのグルメコーナー連載、更にはフー ドテーマパークのプロデュースや監修を行うなど、その活躍は幅広い。世界中のグルメを知り尽くす舌ならではの視点で、数多くの著書を執筆し、バラエティに 富んだ企画やイベントを実施している。