―今年で2回目の開催となった「Japan Best Ramen Awards」。「ラーメン店主が選ぶ本当においしいラーメン店」をコンセプトに、日本全国の有名ラーメン店主の方々に調査をした結果、「らぁ麺 飯田商店」の名前を挙げる店主さんが多く、この度見事2年連続の1位に輝きました。まずは率直な感想を教えてください。 めっちゃ嬉しいです。すごく嬉しいですね。 お客様やラーメン好きの方々の評価もすごく嬉しいですが、同業者の方から評価されたというのは一味違いますね。同時にもっと頑張らなきゃという思いが湧き上がりました。 ―今回、多くの店主さんに本当においしいラーメンとして選ばれた「らぁ麺 飯田商店」さんですが、飯田さんが思う“本当においしいラーメン”とはどのようなものだとお考えですか? 作った人の中から出てきたというか、生み出したという味ですかね。それが苦悩の末に生まれたものだとしても、心の中から作り上げたものが“美味しい”と僕は思います。 ―飯田さんがこれまでラーメンを作り続けてきて、1番嬉しかったことはなんですか? 嬉しかったことはたくさんあります。毎日嬉しいと感じているのは、お客様がすごく喜んでくれることと「美味しい」と言ってくれること。それが全てですね。 ―長い間、ラーメン業界のトップを走り続けることに対して、苦労やプレッシャーを感じていますか? 全然ないですし、自分では1度も日本一だと思ったこともないです。先輩も後輩もすごい方がいっぱいいますし。未だに“ラーメン屋さん”に憧れています。ラーメン屋さんのおじさんがラーメンを作っている姿を見ると「めっちゃかっこいいな」と思う気持ちは昔と変わりません。常にいろんな人たちに憧れています。 ―お客様一人一人に対しての振る舞いに「おもてなしをすることは当たり前」という飯田さんの意識が表れていますが、そのルーツはどこにあるのでしょうか? 僕がラーメン屋という職業を最初に始めた「ガキ大将ラーメン」というチェーン店で、商売人としての振舞い方を教えてくれた親戚のおじさんがいました。 あとは、日本料理を少し経験していた時に、社長さんが何度も何度も「ありがとうございます」と言っていたのも印象に残ってます。僕は商売屋の息子なので、やっぱりお客様への挨拶というところにはすごく重きを置いていますね。 ―2018年に放送された「情熱大陸」(MBS毎日放送)で、お蕎麦屋さんに足を運ばれていた姿が強く印象に残っている方も多いのではないかと思います。 その時は特にお蕎麦に注目していました。今は、自分が「こうしたい」と思うことに近しいものは全般的に幅広く食べるようにしていますし「どうすればラーメンに活かせるかな」と考えながら食べる癖がつきました。 ―飯田さんのターニングポイントとなった、「支那そばや」の佐野実さんのラーメンとの出会い。当時食べた時の感動は今でも覚えていますか? 「美味しい」「スープが他と全く違う」という印象を受けました。はじめての支那そばやの一杯は帰ってからじわじわ来ました。「なんであんなに麺が美味いんだ」って。 ―飯田さんが人生最後に食べたいものはラーメンですか? たぶんそうだね。誰かに作ってほしいですね。弟子たちとかが作ったラーメンかな。もう死ぬってなったら「俺のためにラーメン作ってくれる人~?」って聞いて、集まってくれた人のものを食べたい。想いがあるものか、母親が作ったものだと思います。 ―今年はコロナ禍や自粛ムードが少しずつ緩和され、日常が戻りつつある1年でした。飯田さんにとってはどんな1年でしたか? 一番最近だと、ウクライナ難民の方々にラーメンを作りに行ったことがすごく良かったです。ラーメンをほとんど食べたことがない人たちにラーメンを作ることが、やりたいことの1つであり夢でもあったので。これからもずっとやっていきたいので、その第一歩を踏めたことは大きなことですし、どんどん続けていかないといけないと思いました。 あとは、「玄品」さん(ふぐ料理店)で「ふぐラーメン」をプロデュースしました。ラーメン屋さんをプロデュースすることはあっても、日本料理屋さんの一部メニューをラーメン屋がプロデュースすることはそこまでないと思います。ふぐといえば最後の〆は雑炊ですが、日本料理屋さん側がラーメンという選択肢を根付かせようとしてくれていますし、ラーメン業界として他の業界に入り込めたということは自分の中では大きな意味があることだと思っています。 ―今年の5月に、メニューの価格を改訂された理由について「原材料の価格高騰ではなく、未来のラーメンの事を自分なりに考え出した答え」と発表されていました。その真意をお聞かせください。 まず、ラーメンの価格は上がっていかなきゃいけないと思っています。 クオリティによってはしっかりと金額を取れるのに、いつまで経っても500円~1,000円の中の価格でしか売ることができていない。本当は「もっと上の食材を使いたい」「もう1ランク、2ランク食材の質を上げたい」と思ってるのに、自分たちの首を絞めながらでも原価を圧迫して営業しているラーメン屋さんが、俺も含めてたくさんいます。いくら売れたってなんにもお金なんか残ってないのに。もちろん、いろんなラーメン屋さんがあっていいと思いますが、もっとその倍、倍以上の枠があればどんなにラーメンの幅が広がることかと思って。 何がいけないかと言うと、この価格帯の中で閉じ込めさせてしまっているということ。だから、1,500、1,600、2,000、3,000円っていう風に上げてかないと、後輩たちも自由にできないし、どんどんラーメン職人を目指す人が少なくなる。原材料の高騰を理由に価格を上げるのも全然ありだし当たり前の話ですけど、わざとああいう書き方をしました。 ―そのような想いがあって、敢えて書かれたとは驚きです。 我々は仕事としてラーメン店主をやっていて、その仕事に対する対価はしっかりもらいますよという意思表示。俺たちはプロなんだから。プロの仕事はする、適正かどうかは来て判断してもらえればいいと思っています。 実際に価格を改訂したちょっと前とちょっと後だと、ラーメンの内容は特に変わってないの。原価を上げた訳じゃなくて、単純に利幅が上がっただけ。そうすることによって、後輩たちが少しでも価格を上げやすくなればもっといいし、どんどん上がってくればいいと思う。そういう為です。 ―“ラーメン界の未来”を考えて投じた一石だったのですね。 でも結局、同じ癖が出て1,600円で余裕が出た分、また原価にかけてしまったり、新しい食材を入れたりしてしまいました。でもそういうことができるっていうのも、やっぱり価格を上げられたからだと思います。 ―我々は、ラーメンは日本を代表する文化であり、その美味しさや多様性、素晴らしい魅力を海外に対しても発信していきたいと考えています。ラーメン界を牽引してこられた飯田さんは日本のラーメンは世界に通用すると思いますか? 全然通用すると思います。誇れるどころか、今は向こうから求めて来ますよね。 ―日本のラーメン文化を広めていきたいという思いもございますか? うーん、広めたいのかな。 根本言っちゃうと、すごくお腹が空いてる人に食べさせたいだけかもしれない(笑) 好きなのよ、人がお腹いっぱいになっていく姿が、お腹いっぱいにさせるのが。たくさんお金を持っていれば、ずっと振舞ってたっていいし、毎日やってたっていい。でもそれはできないから、ちゃんと商売としてやる。商売としての形をとって成立するのも一つの正しい答えだから。 本当の本心を言っちゃうと、ずっと振舞っていられたらどんなに幸せかと思います。 ―飯田さんは日本のラーメン文化を世界にもっと広めていくためにはどうするべきとお考えですか? 慌てない方がいいと思います。あとは、古くから愛されているラーメンや、先輩方がやってきたことが、しっかりとした形で伝わってくのがいいと思います。ラーメンドリームを求めて世界へ出ていくのもいいと思いますけど、出ていくならばちゃんとした王道の文化として伝えていく。そのためには、先輩方がやってきたことを我々は必ず勉強し続けなければならない。僕も知らないことはまだまだあるし、いろんな人の話を聞き続けて勉強しなければいけないと思っています。 ―最後に、飯田さんご自身の今後の展望や目標を教えてください。昨年のインタビューで「まだ言わない」とお話されていたことも進展はございましたか? それはまだ言えないんだよ~。すごくちょっとだけ進んだけど。でも、達成できたらすごいから。それは全部に繋がることなんだよ、全部良くなっちゃう。 あとは、本店の味をもっと美味しくするなんてことは当たり前すぎるし…、自分のラーメンを食べたことがない人に食べてもらいたいから、さっき話したことも含めていろいろと頑張りたいですね。 ―ありがとうございます。全部に繋がる、全部が良くなる。飯田さんの構想が実現してラーメン業界全体がより一層盛り上がることを心から楽しみにしています。 飯田さん、本日は貴重なお時間ありがとうございました!喜びと憧れを追い求めて
想いを込めて
在るべき姿へ
文化を繋げる
・プロフィール飯田 将太 店主
2010年に神奈川県湯河原に「らぁ麺 飯田商店」を開店。
ラーメンと向き合う本物の職人飯田店主が命を吹き込む一杯は、多くの人々に感動を与える。
「Ramen Feel」(東京都青梅市)は、「らぁ麺 飯田商店」出身の独立店。
・らぁ麺 飯田商店の一杯は宅麺.comで
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